東京地方裁判所 昭和34年(合わ)377号 判決 1960年3月04日
被告人 鈴木民夫
昭一〇・一一・三生 無職
主文
被告人を懲役弐年に処する。
未決勾留日数中九拾日を右刑に算入する。
理由
(事実)
被告人は小学校在学中に父が死亡し母とも離別したため、その後農業を営む叔父鈴木留吉(死亡)に養育され、小学校卒業後は魚屋手伝、オートバイ運転手等の職に従事し、二十才の折に上京し土工となつて間もなく自動車事故のため右半身神経麻痺症を患い、東京都荒川区福祉事務所の民生保護を受けることになり、右傷病治療退院後サンドイッチマン、更にはテキヤ柳屋一家に所属して露店商を営み、その後は定職にも就かずぶらぶらしていたものであるが、
第一、昭和三十四年十月一日、同都台東区京成電鉄上野駅附近路上で、折柄家出をし行きどころもなく佇んでいた菅野昌子(当二十年)を発見するや、まず職を探してやると甘言を弄して自己の居住先である同都荒川区南千住一丁目三十一番地所在の簡易旅館極楽荘に連行して同棲し、以後同女の寝食の世話をするなどして同女に恩義を売つた上、同月三日同所において同女に対して「お金がなくて食うに困るから客をとつてくれ」等と申し向けて同女を困惑させ、よつて同女をして同日夜及び同月四日夜の二回にわたつて同都台東区三輪町附近等の旅館において不特定の相手客とそれぞれ金二千円、同千五百円の対償を得て売春をさせ、
第二、同月十二日午後十二時頃、前記極楽荘において、偶々同宿の佐藤和夫が連れてきたA子(当時十八年)を発見するや、同女がいん唖者であつて精神的発育の不全であるのを奇貨として巧みに同女に好意のある風を装つて同荘男湯に誘い込み、同所において情交を遂げようと企図し、同室浴槽に混浴中、まず被告人から接吻を求めてその気を窺い、更に同女に対しその左腕部を手で押し付けた上同所流し場に寝るように命じたところ、同女が知恵浅薄の故もあつて止むなくその場に横になるやその上に乗りかかつて情欲を遂げようとしたが、同女において被告人との関係を拒み極力股を窄めていたので、この上は強いて同女を姦淫しようと決意し、窄めている同女の股間に手を差し込んで股を無理に開き、更に同女がもがいて抵抗するや同女の頬を右手で一回軽打する等の暴行を加え、以て同女の反抗を著しく困難ならしめた上、同女を強いて姦淫し
たものである。
(証拠)
第一、(証拠の標目)(略)
第二、(弁護人の主張について)
弁護人は、判示第二の事実について、被害者A子は自由なる意思のもとに被告人と性交したものであつて強姦罪は成立しないと主張する。
よつて案ずるに、
(1) 凡そ証言を解釈するに当つては、その証言中の一部分殊にその片言隻句に捉われず、その全体を具に検討して、その真意の在るところを探究すべき要のあることは言をまたないところである。このことはその供述者が本件被害者A子の如くいん唖者であつて精神的発育が不全である者の証言を解釈する場合特に必要である。けだしかかる者の思考乃至その表現形式は概ね大局的な判断を伴わず外的条件によつて極めて個々的、刹那的な反応を示すものであり、またいん唖者の場合、その表現能力は極めて幼稚であつて一定の評価を伴う表現は極めて素朴なものを除いては不可能に近いからである。以上の観点より、証人A子の証言を判断するに、同証言の一部には一見被告人との性関係を容認していたのではないかと疑えるような個所もあるが、その証言全体を通じ且つ証人奥沢須美子同長谷川こあきの当公判廷における各供述をも斟酌してA子の意の在るところをみると、同女は判示行為当時より被告人に対しては決して好感をいだいて居らず、被告人の判示所為が同女の意思に反するものであつたことは疑う余地のない事実と認められる。当裁判所としては二回にわたり同女に対する証人尋問を行い、被告人のために有利な事実の発見に努めたのであるが、遂にこれは捕捉することができず、また右両度の証言の間には若干ニユアンスの差異はあるが、証人の態度その他に徴し、第二回目の証言の方がより事実に合致するものと認められる。
(2) 被告人が判示日時場所においてA子との性関係に当り用いた手段は判示のとおりである。強姦罪における暴行、脅迫が強盗罪のそれと異つて、相手方の反抗を著しく困難にするものであれば足りることは夙に最高裁判所が判示しているところである。本件において被害者が若し通常人であれば判示程度の有形力の行使が強姦罪にいう暴行に該当するかは相当疑問であろう。しかし当該暴行が相手方の反抗を著しく困難にするものであるか否かは、行為時の情況、行為の方法、被害者の状態(年齢、知能その他一切)等行為時に存した総ての事情を勘案してこれを決定すべきものであり、本件においては、被害者のA子は判示のとおり精神的に欠陥のある者であつて、この場合正常人に対するより以下の有形力の行使によつて同女を支配しうるものであることは容易に理解しうるところである。
(3) 被告人の判示所為の行われた経過は判示のとおりであり、殊に一件証拠によれば、被告人も右行為当時A子に判示の如き精神的欠陥のあることは知つていたことが認められ、しかも被告人とA子との間には事前に精神的交流の行われるに足りる時間的余裕は殆どないと断定してよい状況である。かかる場合においては、被害者側に余程明白な性関係を容認していると認めうる所為がない限り、被告人においてA子の容認を得たと信じた旨の陳述は措信し難いところであり、しかも行為の行われた判示経過に徴すれば、被害者の拒絶意志は明確に表示されて居り、被告人もこれを知つていたものと推認するのが相当である。
(刑法第四十五条後段の確定裁判)
被告人は昭和三十四年九月三十日東京地方裁判所において恐喝罪により懲役一年、三年間執行猶予の刑に処せられ、その裁判は同年十月十五日に確定して居り、右の事実は検察事務官樋口嘉公作成の前科調書の記載により明らかである。
(法令の適用)
被告人の判示所為中第一の困惑売春の点は売春防止法第七条第一項に、第二の強姦の点は刑法第百七十七条前段に該当するのであるが、第一の罪については所定刑中懲役刑を選択するところ、被告人には前記確定裁判を経た罪があつて、これと右各罪とは同法第四十五条後段の併合罪であるから同法第五十条によつていまだ裁判を経ない右各罪について更に処断すべきものであり、右各罪は同法四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条本文、第十条によつて重い第二の罪の刑に同法第四十七条但書の制限に従つて併合罪の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役弐年に処し、同法第二十一条によつて未決勾留日数中九拾日を右刑に算入することとし、訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項但書を適用して被告人には負担させないこととする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 八島三郎 大北泉 新谷一信)